Re: さあ、みんなで、考えよう
政治性のある意見ですが |
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大体、体罰容認意見を積極的に言う人って、少なくとも自分の周りを見る限り、
単に言葉や論理や道徳で人にちゃんと伝えたい事を伝えられないコミュニケーション能力不足か、
そもそも言葉や論理的な考え方やモラルをきちんと備えていない人であることが極めて多いんですよ。
(あとそもそも体罰容認論は非教育者がよく唱えます、某知事とか)
思考が単純で幼稚だったり、すぐ思考停止に陥ったり、物事を深く考えないで建前を押し付けるだけだったり、
相手の感情をきちんと読み取らず独善的なだけだったり。
(あ、ちなみに一応私は、ボランティアと言う形ですが教育と関係のある場所で働いてます)
そういう人の言う体罰容認論が本当に正しいのか。
自分の大人としての到らなさや人としての矛盾を、子供に無理矢理押し付けて、責任放棄しているだけではないのか?
自分には何度も、そうやって教育された子供が結局自分で物事を深く考える事を止め、短絡的行動に走ったり、人の嫌がる事をした時に相手の気持ちを汲んで反省できなくなったりしているのを見た経験があります。
やっぱり子供は大人をまねるなーと、つくづくそう思うんです。
とにかくそういう意見以前の、意見の背後にある発言者の問題をどうしても無視して
体罰云々について語る事に私は危惧を抱いてしまう。
真に問題として議論すべきは、体罰の是非より教育者の素質の問題ではないか、そう思うのです。
教育者の真の武器は、その人間性に他ならない。たとえ理想論と罵られても私はそう考えます。
ただ、人は必ずしも常に完全で居られる訳ではなく、時と場合によっては言葉で通じない事がある。しかも時間というものは有限です。
しかしそれならそれで、学校教育の場に全てを押し付ける家庭に対してアプローチすべきです。
日本は世界に比べると「親の教育、親のコミュニティ」の欠如があると思います。
それを解決するのは困難かもしれませんが、それを避ける限り病巣がより深くなるだけだと思います。
Re: 通信簿にはよく【人の話を聞かない子】と書かれていました。
良い子ぶるわけじゃないですが |
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ここだとあまり苦しまない(仏教的な意味で)のがいいなあ、と思ってたりするんです。
安らぎを得るというよりは楽をしているという感じで。